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F1ワッチ (F1watch)

Watching the Formula One from an Armchair

ホンダ第二期の現場からの貴重な証言:野口義修『F1ビジネス戦記:ホンダ「最強」時代の真実』(2015年)

これもマクラーレン・ホンダ効果なのだろうか。書店に『F1ビジネス戦記』と題された新書の新刊が並んでいたので買ってみた。

著者の野口義修は現在は定年退職したが元ホンダ社員で、特に1988〜92年まで英国に駐在し、マクラーレンとの渉外にあたっていたという経歴の持ち主だ。しっかり帯にはアイルトン・セナが駆るMP4/5がフィーチャーされ「日本企業がなぜ世界を制したのか」と大きく書かれている。

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(CC) Formula racing-2896 by Donkey_Tramp, on Flickr

あくまでも本書は会社勤めの人間を対象とした「ビジネス書」の体裁で売り出しているようだが、スポーツ中継とは異なる側面からF1を楽しみたいファンにとっても「にやり」とさせる情報が盛り込まれている。当F1ワッチではそのあたりを紹介してみたい。

1. どんな本か

マクラーレン・ホンダ(いわゆる第二期ホンダ)時代、著者の野口がホンダ社員であった経験から、当時のあれこれやをざっくばらんに綴った随想集となっている。『F1ビジネス戦記』と書名はつけられているが、とりたててビジネスとしてのF1の内幕に関係者として批判的に切り込んだというものではなく、強いて言葉を補って書名を読み解けば『F1(にホンダ社の)ビジネス(マンとして挑んだ)戦(いの)記(憶)』といったあたりだろうか。

本書に一冊を縦に貫くテーマがあるわけではないことは、目次を見ても明らかである。当時あんなことがあった、こんなことがあった、というとりとめのない断片をいくつかの章にまとめてあるという感じで、読み進めるというよりは、ぱらぱらと目に付いた節に目を通す、といった読み方が正しいかもしれない(新書としても正しい?)。

はじめに
第1章 アイルトン・セナとの出会い
第2章 F1グランプリの内幕
第3章 F1が体現する欧州文化
第4章 日本がF1グランプリで戦うということ
終章 F1活動休止の決断
おわりに ホンダF1“再開”に寄せて

そのような比較的やわらかい本であるという意味で、F1ワッチのハード系な読者には「肩すかし」感があるかもしれないが、だからといって本書が魅力的ではないというわけではない。むしろ、時とともに風化し、誰かが書き起こしておかなければいずれ消えていってしまう当時の貴重な体験を書籍というかたちで残したという点で、本書は類まれな「史料集/証言集」のひとつとして高く評価することができる。

SFの名作として名高い『2001年宇宙の旅』のなかで、アーサー・C・クラークも言っている。

半世紀近いむかし、初期人工衛星が軌道にのったころ以来、莫大な数のパルスが宇宙空間から降りそそぎ、知識の進歩に役立つ日のためにたくわえられてきた。こうした原料のうち、加工にまわされるものは微々たる量だろう。しかし、いまから十年、五十年、あるいは百年後、科学者たちがどんな観測事実に目を向けるかは予想の限りではない。そのため情報はすべて整理され、不慮の事故にそなえて各センター用に三部複製され、エアコンディションの効いた果てしない棚に保管されていた。それは人類の真の財宝のひとつであり、銀行の金庫室に用もなくしまわれた金塊よりもはるかに価値あるものだった。(アーサー ・C ・クラーク『2001年宇宙の旅〔決定版〕』 伊藤典夫訳、早川書房、2013年、Kindle版、位置No. 1635-1640より)

いわば第二期ホンダ時代の現場で働いていた野口の証言は、それがどのようなものであれ「財宝のひとつ」である。読者は、本書『F1ビジネス戦記』で野口がざっくばらんに書き残した記憶のなかから、自分にとって価値のある情報を見つけ出し、自分の人生やF1の楽しみかたに生かすことができるだろう。

2. ロン・デニスの人間性

本書を通読して何よりF1ワッチとして驚いたのが、野口が現場でマクラーレンと渉外をすすめるなかで接したというロン・デニスの人間性が、とてもポジティブなものとして描かれていることである。フランク・ウィリアムズについても紙幅が割かれているが、やはり「F1ビジネスマン」としては圧倒的にロン・デニスに対する野口の思い入れを感じる。

ロン・デニスといえば、マクラーレンの「総帥」として、今もまた現場に復帰し、当ブログでも彼をフィーチャーした記事を多数公開している。スーパーアグリF1が立ち上げられた際には、鈴木亜久里に対して「ピラニアクラブへようこそ」と酷な一声をかけたことでもおなじみだ(おなじみではないかもしれない)。

しかしそんな気難しい、堅苦しい、といった形容詞とはまた違う、強い戦士としてのロン・デニスの姿がおおく描写されているのが、本書の特徴だ。

ロンは、F1グランプリを戦うことで「マクラーレン」というブランドを構築することを最終目的としている。(野口、p.61)

この彼の「野望」については、F1ワッチでもお伝えしたことがある(参考:「マクラーレンはマンチェスター・ユナイテッド」というロン・デニスの信念を検証する - F1ワッチ (F1watch))。

そんな彼にとって、マクラーレンというブランドを押し上げてくれるパートナーとして、当時のホンダは強力な味方であり、かなりフレキシブルな関係を持っていたようだ。

「ノグチ、契約書なんていらないよ! ホンダとマクラーレンはワールドチャンピオン獲得を目標に行動することで合意し、運営は、重要案件を決済する機関であるエグゼクティブ・コミッティーで決定する。それでよいではないか」(p.79)

と、綿密な契約書を用意しようとする野口にデニスは声をかけたという。とても気のいい発言とも読めるかもしれないが、裏読みすれば(文字通りの)「上から目線」とでもいうべき、お互いの責任分担を曖昧にする非常におそろしい言葉でもある。ちなみに野口はそんなデニスの提案を拒否して細かい契約書を作成したという(p.79)。

しかし結局はマクラーレンとホンダのあいだの契約書の条項を超えて、F1カーの貸与からドライバーのプロモーションでの起用まで、ロン・デニスはホンダに対してさまざまな便宜を図ってくれた……と、野口は述懐している(p.80〜2)。

果たして現在のホンダとマクラーレン(ロン・デニス)の関係はどうなっているのか……と思いを馳せずにはいられない。

1992年、第二期ホンダF1活動の休止の決定を極秘にロン・デニスに伝えたときには、野口はデニスの経営者としての強い覚悟を感じたという。

「お金の問題なら解決策があるはずだ。もう一度話し合おう」と言って信じようとしなかった。(p.172)

もちろん最終的にデニスはホンダの撤退に合意したわけだが、彼はマクラーレンの経営者として野口に食い下がった。デニスは、そのブランドを世界一にするためならどのような手段でも用いるだろう……。

こうした現場レベルの、パートナー目線でのロン・デニス評は珍しく、貴重である。

3. ホンダ=日本ではない

短いが、非常に印象的なエピソードが「日章旗からHONDA旗へ」という節に収められているので紹介しておきたい(p.146-7)。

野口によると、1988年当時、ホンダのメンバーはゴールしたマシンに対して「メダルを獲ったオリンピック選手を讃えるような気持ち」で、大きな日章旗を振っていたという。当時からF1中継を見ていたファンには記憶に残っているのだろうか。ウィリアムズ・ホンダ時代には、ガレージ前に日の丸も掲揚されていたという。

しかし、そんな習慣に対して、ヨーロッパの現地法人PRマネージャーたちから「俺たちだってHONDAだ」と「きつい一撃」を野口はうけた、という(p.146)。これは決して厳しい口調で非難されたというわけではなく、当時からホンダの従業員は「日本人よりも、むしろ世界各国で働く外国人のほうが総数は圧倒的に多い」(p.146-7)ということに思い至らなかった自身の浅慮に対するショックであったようだ。確かに、ホンダは日本の企業であると同時に、世界各国にまたがるグローバル企業でもある。そうしたさまざまな国の従業員のアイデンティティは、決して日本の国旗や日章旗で表現できるものではない。

その結果、チーム内で話し合い、ゴール時に振られるのは日章旗ではなくホンダの旗となった。そして興味深いことに、その頃から海外の現場でのホンダへの仕事の引き合いが増え、PR業務が増加すると同時に、続々と現地法人も増えていった……と広報マネージャーであった野口は実感があるということだ(p.147)。

現在の「マクラーレン・ホンダ」も、どうしても日本では「日本の」が強調されがちであるが、グローバルな視点からとらえる必要があるな……と、F1ワッチとしては新たなものの見方を提案された気持ちである。むしろ野口にはこの点を掘り下げたテーマで一冊しあげてほしかった……とさえ、このわずか2ページの短い節には深い感銘をうけました。

結論として……

第二期ホンダ(マクラーレン・ホンダ)時代を観戦していたファンのひとは、ちょっとした裏話が満載で、通勤時間などの隙間時間に読み進めることができるので、買って読む価値はあろうと思われる。

僕のように第二期ホンダの末期(1992年)に触れた程度か、もしくは大部分は「ぜんぜん速くないBARホンダ」を見続けてきた世代にとっては、現在のマクラーレンとホンダの関係を理解する前史・物語として活用したり、ロン・デニスのマクラーレンや、フランク・ウィリアムズのウィリアムズの当時からの変わらぬ信念や人間性を、野口の視点から理解できるという点で、本書は面白く読むことができるだろう。

F1ビジネス戦記 ホンダ「最強」時代の真実 (集英社新書)

F1ビジネス戦記 ホンダ「最強」時代の真実 (集英社新書)

しかし、F1をビジネスとしての側面から、しかも関係者としての立場からより詳細に、かつ批判的に論じていて、しかも手軽に手に取れる「新書」が読みたい、というのであれば、2006年に出版されている『F1ビジネス:もう一つの自動車戦争』(角川oneテーマ21)を推奨する。これは「第三期ホンダ」であるホンダレーシング・デベロップメントの社長であった田中詔一が書いたもので、ほぼ10年前に書かれたものにもかかわらず、現代F1を深く理解するのに最適な一冊となっている。

F1ビジネス―もう一つの自動車戦争 (角川oneテーマ21)

F1ビジネス―もう一つの自動車戦争 (角川oneテーマ21)

もちろんF1ワッチとしては、第二期ホンダを描いた野口の『F1ビジネス戦記』と、第三期ホンダを描いた田中の『F1ビジネス』を合わせて読むことで、さまざまな違いが浮き彫りにされて、むちゃくちゃ面白い——それは著者それぞれのホンダ内での立場の違いでもあり、ホンダとF1・ヨーロッパとの関わりかたの違いでもあり——ということは、書き添えておきたい。

ちなみに本書『F1ビジネス戦記 ホンダ「最強」時代の真実 (集英社新書)』の「黒幕(?)」は、『GPX』創刊などで知られるF1ジャーナリストの山口正巳。田中の『F1ビジネス―もう一つの自動車戦争 (角川oneテーマ21)』の方は、同じくF1ジャーナリストの柴田久仁夫であることが、それぞれのあとがきに記されている。それぞれの本の内容の違いとリンクしているようで、おもしろい。

(CC) 画像出典:Formula racing-2896 | Flickr - Photo Sharing!

参考書:2001年宇宙の旅〔決定版〕

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