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F1ワッチ (F1watch)

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ベネズエラにモータースポーツは似合わない?

パストゥール・マルドナド ジョニー・チェコット・ジュニア ベネズエラ

ベネズエラ人のF1ドライバーはマルドナドだけではない。ジョニー・チェコット・ジュニアは、昨年からF1若手テストに参加し、今季はGP2に参戦している(参照:ジョニー・チェコットJr. | ドライバー | ESPN F1)。

先日は、モナコGPに先立ってマルドナドのキャリアが政府の方針転換によって脅かされているという事情を当ブログで紹介した。多くの読者は、それはマルドナド個人の責任(いわば自業自得)だと捉えたかもしれない。しかしながら、ベネズエラは社会主義国家である。資本主義の塊であるモータースポーツは、そのような国家においては特殊な位置にあることを考えにいれるべきかもしれない。

北京オリンピックの際に書かれた、ベネズエラのスポーツ政策に関する『venezuelanalysis.com(ベネズエラ分析)』の記事を紹介する。少なくともベネズエラのスポーツ政策は、モータースポーツを視野にいれているようには見えない……。

Maldonado en Maracay

Being a Good Sport in Venezuela’s Bolivarian Revolution

(Original text is here)

世界的に、資本主義の元では、依然としてスポーツの世界は収入や社会的地位のような階級によって分断されている。

Globally, under capitalism, there is still a class divide in sports, where the sports that are played easily and cheaply are played by the masses and other sports like golf, tennis, horse riding, and car sports are limited to the upper class. Such a divide still heavily applies to Venezuela, which has not yet thrown off the market chains and is affected by global trends.

簡単にプレイすることができて、しかもお金のかからないスポーツが圧倒的多数によって興じられている一方で、ゴルフやテニス、乗馬、そしてモーターレーシングのようなスポーツは、ごくごく裕福な階級の人々に限定されている。こうした状況は、いまだにベネズエラではきわめて一般的である。この国はまだマーケットを開放しておらず、世界的なトレンドから影響を受けていない。

Playing and moving about, at any age, is human. But under capitalism ‘play’ is turned into heavy, serious, profitable, ‘sport’. [....] We go from collective participation, to 99.9% passive spectators or audience, under capitalism.

本来、スポーツをプレイし、体を動かすということは、どのような年齢であっても、それは人間に関することである。しかしながら資本主義においてはお金に関することになる。スポーツを「プレイする」という言葉は、とても重く、深刻で、しかも利益をあげることができなければいけないものになった。[....] 私たちにとってスポーツはみんなで参加するものではない。私たちの99.9%は、資本主義のなかで、ただ見るだけの観客としてスポーツに参加しているのである。

Revolution and socialism, however, are about participation, and not competition. So how far has Venezuela come in revolutionizing sport, turning it instead, into an activity that brings people together, raises collective health, and helps us appreciate our environment?

しかしながら、ベネズエラにおける革命[訳注:1950〜60年代に実施された「ボリビア革命」以降の状況を示すと思われる]と社会主義は、スポーツによって競争するということではなく、スポーツに参加するということを目指している。いったいどれぐらいベネズエラはスポーツを改革し、それを人々が一緒に遊ぶ活動とし、人々の健康を増進し、私たちが環境を理解することを助けるものへと転換してきたのだろうか?

Socialized sport has its place in the Bolivarian Revolution’s general aim of improving people’s economic, social, cultural and participatory life. And whilst a lot of ‘developed’ countries are willing to spend enormous amounts of their tax revenues on creating elite athletes, Venezuela has been spending its money on social programs both within the country and across Latin America.

社会主義化されたスポーツは、ボリビア革命における基本的な狙いのひとつである、人々の経済的・社会的・文化的・そして全員参加型の生活を改善する目的のなかに位置づけられてきた。そして、多くの「先進国」が膨大な税収を選び抜かれたアスリートたちに投資している中で、ベネズエラはその資金を、国内とラテンアメリカにおける社会プログラム[訳注:これはスポーツを老若男女・障碍のあるなしに関わらず全ての人々にとってより開かれた、そしてより有益なものへと変えることを目指すもの]へと投じてきた。

The Venezuelan government’s policy on sports comes from the constitution which says, in summary, that everyone has a right to sport and recreation as activities that benefit the quality of life of both the individual and the collective.

ベネズエラ政府のスポーツ政策は、その憲法に由来している。ベネズエラ憲法では、簡単にいえば、全ての人々が、個人であれ集団であれスポーツをプレイする権利を持ち、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を向上させるために有益な活動としてリクリエーションを楽しむ権利を持つとされている。

This policy was elaborated on under the ‘National Bolivarian System of Sport’ in 2005 in which, through sports amongst other things, “a new profile of the Venezuelan will try to be obtained, with more discipline and responsibility, that values work, perseverance, credibility, conviction, analysis, and the sporting identity…with a focus on four main programs: performance sports, sports for all, sports installations, and sports in school.”

この政策は、2005年に施行された「スポーツのナショナル・ボリビア・システム」の元で練り上げられたものだ。「ベネズエラの新しい顔のひとつとして、スポーツを位置づける。より厳しく統制され、かつ責任をもってそれはおこなわれる。仕事、我慢強さ、確実性、信念、分析、そしてスポーツをすることによって得られるアイデンティティに、スポーツは価値を与える。これを実現するために、四つの主なプログラムに的を絞る。高度なスポーツ、スポーツの全ての人への提供、スポーツ施設の建設、そして学校教育におけるスポーツ、である。

以上、『venezuelanalysis.com』から、タマラ・ピアソンによる記事を紹介した。うまく訳せない部分も多々あったが、そこは原文を参照いただくということで、ご容赦願いたい。

一読して思ったのは、現在のベネズエラのスポーツ大臣が「モータースポーツには1円も使わない」と宣言したとしても、なんの不思議もないということだ。と同時に、マルドナドが、彼が引き連れるスポンサーであるPDVSAと政府は方針を共有していないと強弁することにも、一定の説得力があるように思われた。

ピアソンの記事の主眼はモータースポーツにはない。そこにかかれているのは社会主義の掲げる理想であり、スポーツを国家が利用するならばこうであろう、という、ある意味ではパラダイス的な世界観である。しかし、F1ファンの立場からこの記事を読むと、耳が痛いというか、なんというか、あきらかにベネズエラが目指しているものにこのスポーツは合致しないのではないかという疑念も沸いてくる。

マルドナドは道化師などではなく、自身の道を自分で切り開いてきた英雄のひとりなのかもしれない……。

(C) 記事出典:Being a Good Sport in Venezuela’s Bolivarian Revolution | venezuelanalysis.com

(CC) 写真出典:Maldonado en Maracay | Flickr - Photo Sharing!