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F1ワッチ (F1watch)

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アレクサンダー・ヘスケスとは?

アレクサンダー・ヘスケス 用語集 ヘスケス・レーシング 英国レーシングドライバーズクラブ

僕が 映画『ラッシュ/プライドと友情』[Amazon]を見て印象に残ったのは、どういうわけだかジェームズ・ハントでもニキ・ラウダでもなく、レーシング・チーム「ヘスケス」のオーナーであるアレクサンダー・ヘスケス男爵だった。休日の午後にビールを飲みながら楽しむのに最適な情報として、彼について端的にまとめたブログの記事を紹介しようと思う(F1 Biography: The Good Lord | Formula 1 Blog)。彼のあまりの変人っぷりは、新旧のF1ファンに楽しんでいただけると思う。

1975 F1 Hesketh

想像してみてほしい。ロン・デニスやフランク・ウィリアムズが、自分のチームのドライバー、それも新人ドライバーのレーシングスーツに「セックスはチャンピオンの朝メシ」と縫い付けてジョークの種にするだろうか?

Can you imagine Ron Dennis or Sir Frank Williams allowing one of their current drivers, particularly a rookie, to sport a patch on their drivers uniform that reads “Sex-Breakfast of Champions”?

しかし、アレクサンダー・ヘスケスというチームオーナーはそういう男だったのである。

When his father died at the age of 39, Thomas Alexander-Fermor Hesketh succeeded to the title of 3rd Baron Hesketh, in the county Palatine of Lancaster and also to the title of 10th Baronet Hesketh, of Rufford, county Lancaster …all at the age of 4.

彼は英国の貴族である。彼の父が39歳の若さでこの世を去ったとき、ヘスケスはまだ4歳だった。しかし彼はその幼さで、第三代ヘスケス男爵の爵位を継ぎ、イングランド北西部のランカスターの領地を相続した。さらに第10代のヘスケス準男爵でもあり、その領地はランカスターのルフォードにある。

Much of the wealth he inherited had American roots. [.....] At 21, the young Lord would inherit an entire fortune.

この若き貴族は21歳の時に全ての財産を相続したが、そのほとんどはアメリカに存在する。

And so, as one would do with more money that he knew what to do with, he went racing. [....] Though he had a few wins in F3, James was better known for his nickname, ‘Hunt the Shunt’, having already written off many a car during his short racing career.

そして彼は、他人よりもより多くのお金を使うことができるのであれば何をすべきか知っていた。彼はモータースポーツに参入したのである。ヘスケス卿はジェームズ・ハントと組んでF3でいくつか勝利をあげ、「壊し屋ハント」というニックネームを広めることになった。ハントは彼の短いキャリアのなかで何台ものマシンを再起不能にした。

As he was opposed to sponsorship, the team was financed entirely out of Lord Hesketh’s pocket, with the car sporting a simple white paint job with blue and red stripes.

当時の風潮に反して、ヘスケス卿はスポンサーを獲得することに反対だった。彼のチームの予算は全面的に彼の相続した財産から支出された。ヘスケスのマシンは白地に青と赤のストライプが入れられただけのシンプルなものだった。

Hesketh Racing garnered no respect from the regular F1 fraternity, however. In addition to the yacht, other extravagant Hesketh Racing effects included a pin striped Rolls Royce, a Bell Jet Ranger helicopter and an always ample assemblage of beautiful women following the team from race to race. ‘The Good Lord’, as Hunt christened Hesketh, [....] and the team celebrated the end of every race with champagne, regardless of their finishing position.

しかしながら、ヘスケス・レーシングはF1の世界では軽蔑されていた。ヨットはもちろん、ピンストライプのロールス・ロイス、ベル社のジェットレンジャー・ヘリコプター、そして常に数多くの美女を従えて、レースからレースを渡り歩く行為は、周囲には浪費と受け取られた。「善良なる貴族」とはハントがヘスケス卿を称した言葉である。チームはフィニッシュした順位に関係なく、レースが終われば必ずシャンパンを開けてお祝いをした。

Early in 1976, Hunt would be lured away by McLaren to eventually win that season’s driver’s title. Having raced at the top level without sponsorship, Lord Hesketh had finally run out of money and decided to call it a day. Postlethwaite would take his upgraded 308C to the new Wolf team, while Horsley would continue running the existing team under the Hesketh name with a redesigned 308D. With as many as ten different drivers, including Rolf Stommelmen, Eddie Cheever and Derek Daly, Hesketh would never score another point, finally closing shop in 1978.

1976年になると、ハントはマクラーレンに引き抜かれ、ワールドチャンピオンを獲得した。F1というトップレベルのカテゴリーでスポンサー無しでレースをしてきたヘスケス卿は、ついに資金が底を尽き、自転車操業の日々を送ることになった。当時ヘスケス・レーシングのチーフデザイナーであったハーベイ・ポスルスウェイトは、ヘスケス308Cのアップグレード版を携えて新しく創設されたウルフ・チームへ移籍した。一方のヘスケス・レーシングは、再設計された新マシン308Dを投入したが、もはやヘスケスの名をチームに冠して活動を続けることができなくなった。その年、10人ものドライバーを投入し、その中にはロルフ・シュトメレンやエディー・チーバー、デレック・デイリーなど名だたる面々が含まれていたが、ついにヘスケスはノーポイントでシーズンを終え、1978年にはチームを解散した。

It could be said that only after F1 did Lord Hesketh’s life become interesting, if you call taking his rightful place in the House of Lords interesting, that is. After a chance meeting with Margaret Thatcher in 1984, Hesketh moved into politics, holding offices in Parliament, becoming a Minister of State in the Dept. of Trade and Industry and first Treasurer and then Chairman of the Conservative Party Foundation.

ヘスケス卿の人生は、F1から撤退した後こそ、より興味深いものになったと言うことができる。いわば彼は「正しい場所」に戻り、英国の上院議員[訳注:選挙によって選ばれる下院とは違い、名誉職として名を連ねる貴族院の国会議員]として活躍したのである。1984年にマーガレット・サッチャーと知りあう機会に恵まれると、ヘスケス卿は政治家として活動するようになり、通商産業省の担当大臣[訳注:内閣外の大臣]を務めて議会にオフィスを構えた後、保守党財団の議長を務めた。

Today he is a Privy Counselor with access to Queen Elizabeth II. Have I failed to mention his stint as nonexecutive chairman of British Mediterranean Airways, his being a principal in Air Astana, the presidency of the British Racing Drivers Club or his line of Hesketh Motorcycles?

今日、彼はエリザベス女王に謁見することができる枢密委員を務めている。さらに彼について記すとすると、彼は航空会社ブリティッシュ・メディタレーニアン・エアウェイズの非常勤社長であり、カザフスタンの航空会社エア・アスタナ[訳注:自転車ロードレースチーム「アスタナ」のメインスポンサー]の取締役であり、さらに、英国レーシングドライバーズクラブの会長を長年にわたって務め、二輪車メーカーのヘスケス・モーターサイクルも運営している。

An eccentric man, indeed.

彼は普通じゃないって? いや、まったくその通り。

面白すぎる!!!

特にF1のヘスケス・レーシングを解散してからのほうが興味深い。彼が選挙で選ばれるわけではない貴族院とはいえ国会議員を務め、しかもサッチャー時代の保守党で要職を務めていたとはしらなかった。そしてまさかアスタナ(参照:Air Astana - Directors Board)とつながりがあったとは……英国貴族・ヘスケス恐るべしである。

F1マシンがスポンサーカラーで彩られるようになったのは1960年代末。ヘスケスがF1に参戦したのが1970年代であることを考えると、当時の彼は最新の流行にキャッチアップしようとしない「時代遅れ」であり「常識外れ」だったのだろう。当時から既にF1パドックでは「変人」扱いだっただろうし、彼の「古き良き時代」を再現しようとする試みは失敗してしまったことになる。どちらにせよ現在からみれば牧歌的な世界に見えるが、うらやましくもある。

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(C) 記事出典:F1 Biography: The Good Lord | Formula 1 Blog

(CC) 画像出典:1975 F1 Hesketh | Flickr - Photo Sharing!