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F1ワッチ (F1watch)

Watching the Formula One from an Armchair

ヘルムート・マルコのF1ドライバー哲学

弁護士の資格を持つ元F1ドライバーという異色の経歴を持つヘルムート・マルコは、2005年からレッドブルF1チームのアドバイザーを務めている。特に現在は若手ドライバーの発掘と育成に責任を持っており、レッドブル/トロ・ロッソのドライバー選定に大きな影響を及ぼしていると伝えられている。そんな彼が、現代のF1ドライバーをどう考えているのか、マルコの言葉を引用しながら、ジェイムズ・アレンがブログで論じている(Marko questions whether modern F1 drivers have the fighting spirit of legends like Senna – The official James Allen website on F1)。これは日本のF1ファンにも多くのことを考えさせる。

Formel 1 - Nürburgring 2009 - Siegerehrung

Do modern F1 drivers project passion? And as a consequence, does the crowd at the track and the TV audience have less passion to feed off?

現代のF1ドライバーは情熱を表に出していないのではないか。その結果として、サーキットにやってくる観客やTV視聴者も、F1に対して情熱を傾けにくくなっているのではないだろうか。

As part of the ongoing discussion about F1 and what it stands for, this argument is worth noting, as the drivers are the ultimate showcase for F1, its most popular asset. Marko, who has overseen the progress of almost 100 young drivers through the Red Bull development programme, is suggesting that modern F1 drivers don’t project the passion for the sport that drivers like Senna did 20 years ago

F1とはいったい何なのか、F1はいったい何を象徴しているのか。こうした議論は、果たして意味があるのだろうか。F1ドライバーたちがF1にとって最高の見本であり、F1の価値だからだ。ヘルムート・マルコは、レッドブルの育成プログラムを通じて100人もの若いドライバーたちの成長を見届けてきた経験から、現代のF1ドライバーは、20年前のアイルトン・セナとはまったく異なり、このスポーツに対する情熱を表に出そうとしないと考えている。

I suspect that drivers like Fernando Alonso would agree with this.

フェルナンド・アロンソあたりは、この意見に同意するのではないか。

Drivers arrive in F1 now having been on a conveyor belt since karting, funded by wealthy fathers or sponsors and thus highly professionalised from a young age, studying telemetry and data from the earliest days of karting. Are they motorsport fanatics or just drivers on a conveyor belt? That is Marko’s thesis.

F1に到達するドライバーたちは、今はカートからベルトコンベヤーに乗って運ばれてくる。金持ちの父親か商業スポンサーによって資金援助され、とても高いプロ意識を幼いときから持っている。テレメトリーが示す数値から何を学ぶかについても初期のカート時代から培われている。彼らがモータースポーツの熱狂的な信者か、それともベルトコンベヤーで運ばれてくるだけの運転手にすぎないのか? これがヘルムート・マルコの問いかけである。

Marko contends that the young drivers of today are reared on Play Station games, iPads and gadgets and as a result they see F1 as a kind of technical exercise. No doubt the fact that the cars are safer -which can only be a good thing – plays a part in their mindset.

今日の若手ドライバーはプレイステーションのゲームやiPad、そしてさまざまなガジェットによって教育され、F1をある種の技術を見せるエクササイズだと考えているのではないか、とマルコは主張している。確かにマシンはより安全になっていることは疑いもなく、それはもちろん完全に正しいことなのだけれども、その結果として、彼ら若手ドライバーの精神構造に何らかの影響を及ぼしている。

The flip side of this, of course, is that social media makes today’s drivers more accessible to the fans than drivers of Senna’s era. They can have a direct connection with the drivers.

その点と表裏一体のことだが、TwitterやFacebookのようなさまざまなソーシャル・メディアが、今日のドライバーたちをファンにとってより親しみやすいものにしており、これもセナの時代とは大きく異なる点だ。F1ファンはドライバーたちと直接つながることができる。

“On the driving side you probably would find one or another driver who could match Ayrton, but charisma is something that you either have or you don’t have.”

ヘルムート・マルコはこう言っている。「現在のF1ドライバーからも、ドライビングという観点に絞れば、おそらくアイルトン・セナに匹敵するドライバーを一人か二人、挙げることができるかもしれない。しかしカリスマという点では、難しいのではないか」

ジェームズ・アレンは、ヘルムート・マルコに直接インタビューしたわけではなく、マルコが Formula1.com に寄せたアイルトン・セナ追悼企画のコメントを取り上げ、彼のドライバー哲学を論じているので、マルコがセナをひとつの理想として捉えているかのような印象を持つ。もちろんそうかもしれないが、そうではないかもしれない。しかし彼が観察しているように、20年前のF1ドライバーと現代のF1ドライバーは、全く異なる存在であることは間違いない。

この記事で僕が考えさせられたのは、セナが最高の存在か、ではない。もちろん「現代のドライバーはダメだ」ということでもない。むしろ僕たちファンの「精神構造」を考えさせられた。現代のF1ドライバーのおかれている環境は20年前とは大きく異なりつつあり、もちろん現代の環境に順応した存在として若者たちは成長している。アレンのいう「精神構造(mindset)」が異なるのは当たり前である。にも関わらず、TVの前のF1ファンの「精神構造」が実は20年前から何も変わっていないのだとしたら、F1ドライバーたちがあまりにも不憫だ。彼らは何のために命をかけて走るのか。

若いF1ドライバーの精神を理解するために、マルコの経験と哲学は役に立つかもしれない。

(C) 記事出典:Marko questions whether modern F1 drivers have the fighting spirit of legends like Senna – The official James Allen website on F1

(CC) 画像出典:Formel 1 - Nürburgring 2009 - Siegerehrung | Flickr - Photo Sharing!

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