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F1ワッチ (F1watch)

Watching the Formula One from an Armchair

ナイジェル・ステップニーが死んだ

ナイジェル・ステップニー スパイ・ゲート フェラーリ

元フェラーリのエンジニアであるナイジェル・ステップニーが昨夜、交通事故で死亡した。英国の高速道路における不幸な事故の経緯は既にメディアで報じられた通りである(Ex-Ferrari Formula 1 mechanic Nigel Stepney killed in road accident - F1 news - AUTOSPORT.com)。彼は2007年、マクラーレンとフェラーリのあいだの「スパイゲート」の中心的人物として裁判にかけられ、すぐにF1を去ったが、ミハエル・シューマッハ時代のフェラーリを支えた有能なスタッフとしても知られている。この件について、ジョー・サワードが長い追悼記事を自身のブログに書いている(Nigel Stepney 1958 – 2014 | joeblogsf1)。我々が知らなかったスパイ事件の彼の「個人的な」背景も記されているので、少しだけ紹介したい。

USGP 2007 - Fernando Alonso

訃報には、書きやすいものもあえば、書きにくいものもある。ナイジェル・ステップニーのものは、おそらく議論を呼ぶものになるだろう。彼は熱意があり、才能にあふれた男だったが、いくつかの欠点も持っていたからだ。

Some obituaries are easy to write, others are more difficult. Nigel Stepney’s story is likely to end up being contentious because he was man of many talents and much energy but he also had some major flaws. He ended up being famous for all the wrong reasons and while he deserved some of the criticism, he felt that the true story had not been told.

彼は、完全な不正行為によって有名になり、それは批判されて然るべきではあったが、それでも彼は真実は語られていないと感じていただろう。

It is not clear why this happened.

彼がなぜ交通事故にあったのか、まだ詳しいことはわかっていない。

At the start of 2001 he was promoted to the position of Racing Manager, and one of the clan of non-Italians who made Ferrari the great team it was with Michael Schumacher.

2001年シーズンが始まったとき、彼はフェラーリのレーシング・マネージャーへと昇進した。彼はミハエル・シューマッハと一緒になってフェラーリを偉大なチームに仕立て上げた〈非イタリア人〉のひとりだった。

He was very highly paid in this role and in this period he began to develop bigger ambitions that were perhaps rather too elevated. He felt that he would have been a good successor to Brawn and was unhappy when he was not even considered for the post when Brawn left the team at the end of 2006.

フェラーリの黄金時代、彼は高い給与を得ていたし、同時により大きな、というよりも、大きすぎる野望も抱き始めたようだ。それは、自分がロス・ブラウンの後継者に相応しいというものだ。しかし2006年シーズン限りでブラウンがフェラーリを去ったあと、ステップニーは後継者に選ばれなかった。これは彼にとって不幸だった。

Relationships soured rapidly and Stepney later said that one of the reasons that he gave some information to McLaren was because he did not like the ethos of the racing team after Brawn had departed.

その結果、2007年、ステップニーとフェラーリの関係は急速に冷めていった。後に彼が語っていることだが、マクラーレンに対して彼がいくつかの情報を提供した理由のひとつは、彼がブラウンが去った後のフェラーリ・チームの雰囲気が好きではなかったからだという。

The relationship between Stepney and Ferrari got uglier that season.

そのシーズン、ステップニーとフェラーリの関係は、醜いものになった。

For many years Nigel talked about publishing a book telling his side of the 2007 scandal but that never happened. It is a shame in many ways as a lot of what was going on that year was not as it seemed.

長年にわたって、ステップニーは2007年のスパイ・ゲート・スキャンダルについて、自伝を出版すると語っていた。しかし、それは結局果たされることはなかった。あの年、本当はいったい何が起こっていたのか、多くの点を知ることができなくなったことは、とても残念である。

初期のキャリア、そしてフェラーリへ移籍してからのロス・ブラウンの後継者としての野望、非イタリア人(英国人)としてのフェラーリ・チームへの感情など、サワードの記事にはナイジェル・ステップニーについて興味深い情報が含まれている。彼をスパイ事件の愚かな実行犯のひとりとして考えることは簡単だが、その背景にある、おそらくはどんな事件にも存在しうる個人的な物語は、彼を贖罪するものではないにせよ、人間ステップニーについて考えさせられるものがある。

ご冥福をお祈りします。

(CC) 画像出典:USGP 2007 - Fernando Alonso | Flickr - Photo Sharing!